中央区の中島公園内で、札幌ゆかりの彫刻家が手がけたコンクリート像「母と子の像」がいたずらされているのが二十九日、見つかった。母子の目のあたりを花火で焦がしたとみられる。同公園の指定管理者「さっぽろパークマネージメントグループ」は「あまりにもひどい」と憤り、三十日にも被害届を出す方針だ。
像は彫刻家山内壮夫(一九○七-七五年)の作品。高さ百十五センチで、六一年ごろ設置された。
被害は二十九日午後一時ごろ、管理事務所職員が発見。近くに花火の袋や燃えかすが散乱していた。管理事務所によると、早朝に園内を散歩していた近くの女性が見た時は、目のくぼみなどに数本の花火が突き刺さっていた。女性は見かねて取り外したという。
近くにある山内の別の作品「笛を吹く少女」も目の部分が焦げていた。
「母と子の像」へのいたずらはこれが初めてではない。札幌まつり最終日の翌十七日朝には倒れた状態で見つかり、管理事務所がトラックに搭載したクレーンで元に戻した。像自体は壊れていなかったため、被害届の提出は見送った。
しかし相次ぐ悪質ないたずらに対し、同管理者は今回、断固とした対応をとることを決めた。坂下貢・管理事務所長は「信じられない。度を超している」と憤り、像の復元を図るほか、警察に巡回強化を要請する意向だ
(北海道新聞より引用)
2007年6月30日土曜日
2007年6月21日木曜日
監視
防衛省幹部の中にさえ「やりすぎだ」「戦前の憲兵隊と同じだと誤解されても仕方がない」とため息をついた人がいたそうだ。自衛隊が市民活動を監視しているという「内部文書」を、暴露した共産党のホームページで見た▼これではため息も出るわけだ。「デパート前に四十人。キャンドル、ハーモニカを持ってイラク派遣反対を訴え」(小樽)。「集会参加は百五十人。『イラクには非戦闘地域はない』と講演」(札幌)。道北の小さな教会が開いた催しまで調べている▼情報保全隊が全国で行ったものらしい。イラクに最初に派遣されたのは旭川の陸自第二師団だから、活発だった道内の運動に関する記述が多い。参加者の顔がわかる写真も撮影されていた▼調査の方法も、単に街頭宣伝をわきで見ていたという次元ではない。集会の中にまで入り込んで、発言を記録した形跡がある。これを組織的、系統的に資料としてまとめていた▼集会を開けば自衛隊から調べにくる。発言すればメモされるらしい。そんな事態が常態化すれば、大きな圧力になるだろう。言論や集会の自由が窒息してしまう。市民団体などが監視と受け止めるのは当然である▼自衛隊は何を守る組織だったのか。国民を、自由や民主主義を守ると宣伝してきたのではなかったか。まさか、イラク派遣に反対する自由など守るに値しない、というわけではあるまい。
(北海道新聞より引用)
(北海道新聞より引用)
2007年6月14日木曜日
ブルーノ、攻守に存在感
腰痛で3試合ぶりに復帰したブルーノクアドロスが攻守にわたる活躍を見せた。お立ち台では「得点できたのも、けがが早く回復したのも神様のおかげ」と大喜びした。 得点は、FKのロングボールに頭で合わせたが、バーにはじかれた球は自分の前に。「頭でいくか、足でいこうか迷ったが、決められてよかった」と最後は倒れ込みながら決めた。昨季までJ1で2季在籍したC大阪時代を含めて、うれしいJリーグ戦初ゴールだ。 守備では、京都のパスを再三インターセプト。身長184センチの高さと当たりの強さを生かして攻めをはね返した。腰の痛みを感じさせないプレーは完全復帰といえる。 ゴール後、観客席に向けて両腕でかごをつくり大きく揺する「揺りかごダンス」を見せた。札幌に住む妻のシンチアさんが8月に女児を出産する予定。わが家では毎日おなかをさすり、「元気ですか」と声をかける優しい夫の顔になる。道産子となる長女には「エステール」(ポルトガル語で星の意味)と名付けるつもりで、誕生を心待ちにする。 チームでは日本語がうまく、今季ブラジルから来日したカウエとダビの兄貴分。「日本人選手には『プロとは』、外国人には『助っ人の役割』を教えてくれる大切な存在」(三上強化部長)でもある。 ファンには「北海道のみなさんの応援がなければ連勝はできなかった。みなさんと一体になって勝ち続けていきたい」と呼びかけた。好調な札幌の中核を担っている。
(北海道新聞より引用)
(北海道新聞より引用)
2007年6月11日月曜日
札幌で浴衣商戦 今年は伝統回帰 白や紺、定番色が中心
札幌市内の百貨店やファッションビルで浴衣商戦がスタートした。若者らに浴衣が見直されているため日常的な外出着として着られる落ち着いた色柄が今年の特徴だ。
丸井今井札幌本店は浴衣コーナーを約二百十平方メートルに拡張し、約千着の取り扱いを始めた。昨年は襟や袖にレースなどをあしらった派手な商品も多かったが、今年は白、黒、紺といった伝統色を中心にすえた。大沢尚子アシスタントセールスマネジャーは「デートや外出にも着られる普段着としての浴衣に力を入れたい」と話す。
札幌西武も水着コーナーと隣接した「ゆかたセンター」で約五百着を展開する。これまでカラフルなタイプが人気だったが、昨年から落ち着いた色合いが人気で今年もその傾向が続く見込み。さらに、帯締めや足袋をプラスすることで、「ワンランク上の外出着として、着物風の着こなしを提案したい」(広報担当者)という。価格帯は二万六千円から三万円が中心だ。
一方、札幌パルコは一万円前後の商品がメーン。期間限定ショップ「こいこりん」では、浴衣の上下が分離し、簡単に着られるセパレートタイプが人気。ショップを経営するアパレル大手の三愛は「しわになりにくいので旅行にも気軽に持って行ける」とPRしている。
他の百貨店も六月に入り、売り場を本格展開する予定だ。
(北海道新聞より引用)
丸井今井札幌本店は浴衣コーナーを約二百十平方メートルに拡張し、約千着の取り扱いを始めた。昨年は襟や袖にレースなどをあしらった派手な商品も多かったが、今年は白、黒、紺といった伝統色を中心にすえた。大沢尚子アシスタントセールスマネジャーは「デートや外出にも着られる普段着としての浴衣に力を入れたい」と話す。
札幌西武も水着コーナーと隣接した「ゆかたセンター」で約五百着を展開する。これまでカラフルなタイプが人気だったが、昨年から落ち着いた色合いが人気で今年もその傾向が続く見込み。さらに、帯締めや足袋をプラスすることで、「ワンランク上の外出着として、着物風の着こなしを提案したい」(広報担当者)という。価格帯は二万六千円から三万円が中心だ。
一方、札幌パルコは一万円前後の商品がメーン。期間限定ショップ「こいこりん」では、浴衣の上下が分離し、簡単に着られるセパレートタイプが人気。ショップを経営するアパレル大手の三愛は「しわになりにくいので旅行にも気軽に持って行ける」とPRしている。
他の百貨店も六月に入り、売り場を本格展開する予定だ。
(北海道新聞より引用)
2007年6月7日木曜日
再生目指しサクラなど植樹 大黒摩季さんも参加
【夕張】財政再建団体となった夕張市に二万本のサクラやモミジを植え、地域再生を図る「しあわせの桜ともみじ」プロジェクトが二十五日スタートし、市内の石炭の歴史村公園内で記念植樹会が行われた。藤倉肇市長や高橋はるみ知事のほか、札幌出身で歌手の大黒摩季さんも参加、新曲「桜ごころ」を初披露した。
事業は、家具インテリアチェーン大手の「ニトリ」(札幌、似鳥昭雄社長)が企画。計画によると、二○一一年度までにサクラとモミジをそれぞれ一万本植える。本年度はサクラ三千本とモミジ千本を同公園周辺に植える。初日は千三百本を市民らが植え、それぞれ記念のネームプレートをつけた。
藤倉市長は「サクラとモミジが夕張に夢を希望を与えてくれた」とあいさつ。六月三日には夕張市内で、女優の吉永小百合さんらによる植樹会も行われる。
(北海道新聞より引用)
事業は、家具インテリアチェーン大手の「ニトリ」(札幌、似鳥昭雄社長)が企画。計画によると、二○一一年度までにサクラとモミジをそれぞれ一万本植える。本年度はサクラ三千本とモミジ千本を同公園周辺に植える。初日は千三百本を市民らが植え、それぞれ記念のネームプレートをつけた。
藤倉市長は「サクラとモミジが夕張に夢を希望を与えてくれた」とあいさつ。六月三日には夕張市内で、女優の吉永小百合さんらによる植樹会も行われる。
(北海道新聞より引用)
2007年6月6日水曜日
「藤倉流」訴え奔走 新市長就任1カ月 制約痛感、活動手探り 積極性はアピール
【夕張】財政再建団体・夕張市の藤倉肇市長が二十七日、就任一カ月を迎えた。札幌の会社経営者から古里の再建に立ち上がっただけに、市役所内では「株式会社夕張」を合言葉に問題の迅速処理を掲げる一方、市民にも「自立」を説く日々だ。ただ十八年に及ぶ再建計画の内容は厳しく、「藤倉流」の民間手法には課題も多い。
この一カ月で最大の懸案は副市長選びだった。最終的に十五日の市議会で、羽柴和寛前財政部長の選任同意を取り付けたものの、市の不適切な会計処理の責任者の一人とあって、羽柴氏本人は何度も固辞。市長周辺からも「民間市長の改革色が見えなくなる」と反対の声が上がった。
市長自身、他薦も含む外圧の大きさに、「要請は取りやめ」と周囲に漏らす局面もあった。しかし議会直前の十四日朝、「自分の意志をあくまで通したい」と最後の説得に乗り出し、羽柴氏を口説き落とした。「断固実行」の見本例だった。
八日の老人クラブ連合会総会では、あいさつで「みなさんの財産がほしい」といきなり切り出し、九十人の出席者を驚かせた。再建で苦しい市に対し、六月二十二日から始まる「再生市民会議」に出席し、知恵や経験の提供をと呼びかける趣旨だった。市長自身は「企業の社長なら、(あいさつで)冗談を言うのは当たり前」と言う。
旧夕張北高の同級生である後藤健二前市長が、市役所出身らしく、手堅い行政マンぶりを見せていたのとは対照的に、藤倉市長は「行政も金もうけが必要」と言い切る行動派だ。社長時代の知人であるタレント日高晤郎さんや経済人など来客も多く、時には昼の弁当を抜くこともある。
こんな様子に、同市内の六十代の会社社長は「後藤さんと違い、いつも飛び回っている。良いこと」と評価する。ただ、「再建計画で何もできない市長像を、無理に壊そうとしている面も見える」と、市長の思いと現実の乖離(かいり)を指摘する。
出張旅費がない現実を怒った二十四日の記者会見についても、市民からは「立候補前から分かっていたことでは」と冷めた反応も出ている。こんな住民の思いをどう一つにまとめ、再建計画の着実な実行を求める国や道に伝えていくか。「夕張のセールスマン」(市長)の真価が問われそうだ。
(北海道新聞より引用)
この一カ月で最大の懸案は副市長選びだった。最終的に十五日の市議会で、羽柴和寛前財政部長の選任同意を取り付けたものの、市の不適切な会計処理の責任者の一人とあって、羽柴氏本人は何度も固辞。市長周辺からも「民間市長の改革色が見えなくなる」と反対の声が上がった。
市長自身、他薦も含む外圧の大きさに、「要請は取りやめ」と周囲に漏らす局面もあった。しかし議会直前の十四日朝、「自分の意志をあくまで通したい」と最後の説得に乗り出し、羽柴氏を口説き落とした。「断固実行」の見本例だった。
八日の老人クラブ連合会総会では、あいさつで「みなさんの財産がほしい」といきなり切り出し、九十人の出席者を驚かせた。再建で苦しい市に対し、六月二十二日から始まる「再生市民会議」に出席し、知恵や経験の提供をと呼びかける趣旨だった。市長自身は「企業の社長なら、(あいさつで)冗談を言うのは当たり前」と言う。
旧夕張北高の同級生である後藤健二前市長が、市役所出身らしく、手堅い行政マンぶりを見せていたのとは対照的に、藤倉市長は「行政も金もうけが必要」と言い切る行動派だ。社長時代の知人であるタレント日高晤郎さんや経済人など来客も多く、時には昼の弁当を抜くこともある。
こんな様子に、同市内の六十代の会社社長は「後藤さんと違い、いつも飛び回っている。良いこと」と評価する。ただ、「再建計画で何もできない市長像を、無理に壊そうとしている面も見える」と、市長の思いと現実の乖離(かいり)を指摘する。
出張旅費がない現実を怒った二十四日の記者会見についても、市民からは「立候補前から分かっていたことでは」と冷めた反応も出ている。こんな住民の思いをどう一つにまとめ、再建計画の着実な実行を求める国や道に伝えていくか。「夕張のセールスマン」(市長)の真価が問われそうだ。
(北海道新聞より引用)
2007年6月3日日曜日
道「対応に過失ない」 教諭性的暴行訴訟 地裁初弁論
中学時代に約一年半にわたり、三十代の男性教諭=児童福祉法違反の罪などで服役中=から性的暴行を受けた道東在住の十代女性と両親が、元教諭と当時の校長、道、地元自治体に対し、約一億五百万円の損害賠償を求めた民事訴訟の第一回口頭弁論が二十四日、札幌地裁(阿部雅彦裁判官)であった。被告側はいずれも請求棄却を求め、争う姿勢を示した。
被告側のうち、道は答弁書で「国家賠償法に基づく元教諭への使用者責任は否定しないが、事件をめぐる道の対応に過失はなかった」などと主張した。
訴えによると、女性は自宅や学校内で元教諭から繰り返し性的暴行を受け、心的外傷後ストレス障害(PTSD)になった。
(北海道新聞より引用)
被告側のうち、道は答弁書で「国家賠償法に基づく元教諭への使用者責任は否定しないが、事件をめぐる道の対応に過失はなかった」などと主張した。
訴えによると、女性は自宅や学校内で元教諭から繰り返し性的暴行を受け、心的外傷後ストレス障害(PTSD)になった。
(北海道新聞より引用)
2007年6月1日金曜日
ドームにて
北海道日本ハムと巨人の対戦を見に札幌ドームに行った。外野席に座って周囲を眺める。巨人を応援するオレンジ色が目に付いたのは、ライト側三分の一ほどの席だけだ。残りは、日本ハムを応援する観客でおおむね埋まっていた▼日本ハム移転前の二○○三年、道民に最も好きな球団を尋ねた調査がある。巨人が49%を占めて、日本ハムは1%だった。変われば変わるものだ。ただ、巨人に移籍した小笠原選手へのブーイングは、それほど激しくないように聞こえた。なお親愛の思いはある▼ドームで今も信念を貫く巨人党は筋金入りだろう。日本ハムにはいわば「にわかファン」も少なくない。成績が振るわない今季は、ストレスをためている人が多いのではないか▼じれるのは早い。昨年、交流戦が終わった六月下旬の時点では36勝35敗、首位に5ゲーム差の4位だった。球宴が終わって以降、本拠地で20勝3敗、勝率8割7分と常勝球団になってゆく▼今季快調なソフトバンクは一九八九年に福岡に移転した。何年もBクラスからはい上がれず、ファンが王監督のバスに卵をぶつけたこともある。日本一になったのは十一年目だ▼日本ハムは、移転後三年で優勝したことが奇跡だった。勝負の世界は順風ばかりではない。逆風のとき、どれだけ声援を送れるかでチームの力も変わる。その積み重ねが、筋金入りの応援になるのだろう。
(北海道新聞より引用)
(北海道新聞より引用)
登録:
コメント (Atom)